セメント瓦屋の作業日誌

大分県杵築市山香町で瓦屋やってます.日々の仕事の出来事を気の向くままに書いてます。

休日閑話

昨年末のNHKのドラマ「坂の上の雲」で主人公の一人「秋山真之」の先輩であり親友でもある「広瀬武夫」という人物。大分県出身で演じている役者さんも魅力的で気になったので広瀬武夫に関する本を読んでみました。


坂の上の雲」自体は昔読んだことがありましたが広瀬武夫という人物について詳しくは書かれていなかったようであまり記憶にありませんでした。改めて今回、広瀬武夫について読んでみて、こんな人物が大分県から出ていたとは驚きでした。


簡単にプロフィールを説明すると、時代は明治時代、出身は大分県竹田市、実家は下級役人ですが肥後の菊池家を祖とする血筋で維新後、父親は裁判官などの公務員として勤め、飛騨・高山へなど転勤を繰り返し最後は再び竹田へ戻っています。


武夫自身は海軍兵学校を卒業後、日清戦争を経験しますが実戦に出る機会を得られず後方支援などにまわります。その後、5年間ロシアへ留学・駐在し帰国後、日露戦争に突入します。ロシアでは周りのロシア人に愛され・尊敬される存在で軍人・民間人に多くの友を得たようです。


日露戦争では開戦初期の作戦(中国・旅順港沖)で活躍しますが、2度目の作戦遂行後、帰還途中にロシア側の銃撃を頭部に受け戦死します。(享年35歳)


軍艦に乗っての実戦としては日露戦争時の数ヶ月しかなかったのですが死後、「軍神」として崇められた点を考えるといかに尊敬に値する人物であったかがうかがい知れます。


遺体は海に沈んで日本側では回収できず、わずかな肉片と遺品で葬儀が行われたそうです。しかし、本日の大分合同新聞に記事が載っていましたが、海に沈んだとされた遺体は後日、ロシア側が回収し葬儀も行われ手厚く旅順のロシア海軍墓地に葬られたそうです。


武士であり軍人でありながらロシア語を勉強したり詩・俳句に通じ教養もあった広瀬武夫という人物はもっと評価されてもよいと思うし、大分県人として広く認知されてもおかしくないとおもいます。大分の偉人としてもう一度見直してみるべきだと思います。


ちなみに、広瀬大分県知事は日田・咸宜園の広瀬淡窓の実弟の血筋だそうで広瀬武夫とはあまり関係ないようです。